文章=テキストについて思うこと ■

 

文章は怖い。
声のトーンや顔の表情が伝えられない分,どうしても微妙なニュアンスが伝わらない。
特にサイトにアップされる文章は,不特定多数の人にニュアンス不充分のまま配信されるため,
情報不足なところは自分の都合のいいように解釈してしまう。
そして,細部にゆがみが生じていく。
コレって私だけじゃないと思うんだけど,どうなんだろうか。

 

いわゆるテキストサイトでアップされる文章は特に,常にそういう危険を孕んでいて,
受け取る方の度量も試されている気がする。
私はいくつかの弱小サイト運営を経験しているけれども,
基本的に訪れてくれる方が嫌な気分にならないようにできるだけ配慮してきた。
でも,辛いこと苦しいこと悲しいことをサイトで実話として扱っているサイトは多数存在する。
もちろん,そのようなサイトを否定する気は毛頭ないし,そんな権利もない。
しかも,大多数の人間は他人の不幸が大好きなので,そういうサイトの方が人気は出るわけで。
辛いことをサイトで吐き出すのは,解消方法の一つなのだろうけど,
偶然通りがかった読者にそのつらさを肩代わりしてもらうだけではいけないし,
ましてや見ず知らずの方に心配をかけるのって,同じ管理人として正直どうかと思う。
世の中優しい訪問者さんばかりなら,みんな許してくれるのでしょうけど。

 

以前,オンラインでの友人とのトラブルを,共通の知人に相談したことがある。
私は共通の知人に相談することで,私に非があれば教えて欲しいとお願いしたのだ。
しかし,それを知った,もめていた友人が私に言い放った言葉はこうだ。
「私の友達に変なこと吹聴しないでっ!」
私は私なりに信頼できる相談相手を選んだつもりである。
相談して自分の非を気づくと同時に,誰かにしゃべることで,私も楽になりたかった。
サイトで誰彼かまわず毒を吐き,自分が楽になるかわりに何人もの人を傷つけ,心配をかけ,
都合の悪いテキストはすぐに削除しあたかも何もなかったかのように振る舞う。
そんな行為を何度も繰り返している友人よりも,私の方が悪いというのだろうか。
自分のトラブルの相手について,見ず知らずの何千何百もの訪問者達にテキストを投げかけるのは,
吹聴とどこが違うというのだろう。
テキストなんて,所詮自分の主観で書かれたものなのに。
そのとき相手がどのような状況に置かれて何を考えていたかなんて,そんなことわかるわけがない。

 

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そんなわけで,このサイトのお話はすべてフィクションという形式をとりました。
妄想があったり(ていうかほとんど),悲しいことがあったり,
たまには主張してみたり,でも全部作り事です。
もちろん,ココの文章もどこまでホントかはみなさんの想像次第♪
みなさんの「真実を見分ける力」が試されます(にや)

 

そして,それをずるいと思うかどうかもみなさんの判断にお任せします。
世の中にはフィクションとノンフィクションの区別も付かないかたも大勢いらっしゃるようですので。
私はビビリなので,何かの犠牲になりたいとは思いません。
なわけで,生暖かく見守っていただければと思います。

 

 

河崎ユミヲ=ふー (表は親も見てるからね^^;;)

 

 

 

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- ambivalence - 

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